ベティ・ペイジとアーヴィング・クロウ  2006/02/08

 ベティ・ペイジは1950年代に活躍した「裏マリリン・モンロー」とも呼ばれたナッシュビル生まれのピンナップ・クイーンです。後述するアーヴィング・クロウの元で数々のボンデージ・フォトや動画フィルムを残しています。

 アーヴィング・クロウはブルックリン出身で、1930年代の終わり頃からピンナップ写真のスタジオとショップを経営し、ジョン・ウィリーのボンデージ・アートや彼の雑誌「ビザール」等を取り扱い販売していた人物です。当初からボンデージに興味があったわけではなく、ある客からの強い要望でボンデージ写真を扱いはじめたと言われ、アーティストというよりはビジネスマンと呼ぶべき人物でしょう。

 クロウは 「NO SEX」「NO NUDITY」 という自発的に設けた制約に基づいてピンナップ写真を製作しており、これはポルノとして当局の摘発を受けるのを避けるという経営者としての計算があったと言われます。
  しかし、直接的な性表現を避けた事が、かえってフェティッシュな表現によるエロティシズムを極限まで高め、普通のポルノ写真には無い独特の世界を作り上げる原動力になったとも言えるでしょう。

 そして、このクロウとベティ・ペイジが1951年頃に出会い、数々のボンデージ・フォトを生み出す事になったのです。
  黒や豹柄の下着にストッキング、ガーターベルト、ピンヒールといったフェティッシュな衣装に身を包んだベティが縄で縛られたりスパンキングされたりといった今日のボンデージ写真の定番のイメージは、この二人によって初めて一般にまで広められ定着されたものと言えるでしょう。

 しかしベティはいわゆる破滅型の女性で、数々の奇行で問題を起こし、クロウの元で数年間活躍した後、行方不明になりました。
  そしてクロウも、1963年連邦政府からの圧力によりスタジオ閉鎖に追い込まれ、その3年後の1966年に病死しています。

 このベティ・ペイジの生涯が映画化されました。彼女のピンナップ・ガールとしての成功の日々と数奇な人生が描かれていることが期待されます。

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